NO-198 何のために生きるのか、真実を求め!やがてUFOとかかわりそれは「真実の静かなる革命」へと続く心の旅人の道であった。

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初版と現在の改訂版コンタクトシリーズ
時折、UFO仲間が我が家にやってきていたがあるとき、私は生涯忘れることのできない本を手にしたのだった。というのも、そのうちの1人が「こんな本が出たよ」と言って持ってきてくれた本は「セムヤーゼ1.2」というタイトルだった。著者はビリーマイヤーとなっていた。とっさに私は“ついに出たんだ!”と驚いた。ビリーマイヤーに関してはテレビで世界初公開として木曜スペシャルの番組で放映されたことやUFO雑誌に載ったことがあり。そしてそのビデオも持っており繰り返し何度も見たのだった。また人に貸し出したりもした。そこには彼は数千ページに及ぶ宇宙人との会見記録も書いており更にUFO写真も豊富に撮っており、これまでの世界では前例のないほど多くの証拠を所持しUFO事件としては最大であった。したがってこの本には私が求めるところの真実が確かに存在するはずであった。私はむさぼるように読んだ。すると次々に出て来るのだった。知りたかったことがやはり書かれてあり、宇宙には創造の法則があって万物はこの法則に従っていること。人間は大きな7つの段階とそれを更に7段階に分けた49の段階を進化によって経過して行くこと。現在の地球人の段階や科学者の段階など、そして高度に進化した宇宙人達の段階も、そして人間は最後には霊の状態になって創造に没入することが書かれてあった。仏教でいうところの仏界、いわゆる仏の世界である。
これまでいかなる宗教によっても哲学によっても言及されなかった人間の到達点と進化の経緯がここには、はっきりと書かれてある。ああ、ついに真実を見つけた。感激して“ヤッター!”と叫んだ。22歳の時に真の生き甲斐、人間は何のために生きるのかを探し求めて宗教に入ってから17年が経っていた。やはり真実は宇宙的な広がりを持つ普遍的なものなのだ。それからは妻と夢中になって読んだ。宇宙にも寿命があり、ひとつの周期が3百11兆400億年であること、宇宙には地球にあるような宗教は存在しないこと、地球人は宗教によって精神の隷属状態になっていること等々を読み終えて、深い感動に包まれた。遂に、遂に本物を見つけた。間違いない。そこには真実が書かれていると確信でき、しかも論理的に淡々と明確である。宗教ではベールに包まれていたことがこの本では惜しげもなくありのままに示されている。なんと言う喜びであることか本当に嬉しくて妻と喜び合った。この気持ちをうまく表現できないが、「求めよそうすれば与えられるであろう」とのことばが実現したのだ。
仏教のなかに、末法すなわち正法、像法、そして現代は末法に当たりその時代には正しい教えを説く本仏が現れると説かれている。それは弥勒菩薩の再誕であり、マイトレーヤともいわれ、それが日蓮正宗では日蓮であった。また一眼の亀のたとえ話では大海の中より、千年に一度しか浮かんでこない片目の亀がおり、その亀は手足が
なくヒレもありません。そして、この亀は腹が焼けた鉄のごとく熱く、甲羅は雪山のように
冷たいのです。この亀が昼夜願うのは、熱い腹を冷やし冷たい甲羅を温めることでした。それには栴檀の木を見つけることですが大海の中より千年に一度しか海面に出ることはできず木に出会うことはほとんどなく、
それに仮に栴檀にであったとしても、それに載れるかどうかはわかりません。仮に亀の前を流れていたとしても、
片目のために近づくことが困難です。

これは仏の法に出会うことの難しさを示した説話ですが、真の教えに出会うことの困難さを示しています。しかし私はこの稀な出会いを宗教や仏教の中にではなくUFO、宇宙との関係性において見つけたと確信したのだった。またマイトレーヤとビリーマイヤーも何となく似通っていると感じた。この本の後ろページに次号の案内も書かれてあったので早く読みたい一心で、すぐさまこの本を出版した翻訳をすすめる会に電話をした。すると電話の向こうから女性の響きのある元気な声が返ってきて小桜と名乗った。この本が出されたことの歓びの声を伝え次号をまとめて買うことにした。その後も何度か話すうちにちょうどフイリピンのアキノ大統領が登場した時期だったのでイメージを重ね合わせていたものだった。私は妻の声も気に入っているがその女性の声も心地よく響いた。取り寄せた本は友人知人に紹介したり会社でも本棚を置いて展示した。またカー雑誌に載せるなどして案内すると興味を持った人々が会社や自宅に買いにやってくるようになり興味を持つ仲間で会合を持つようになった。なかには会社のカーショップUFOの看板を見てその由来を尋ねられ説明すると本も読むようになった人もいた。そのうち小桜さんよりスイスのビリーマイヤーを尋ねるためにツアーを組むので行かないかと誘われた。時は4月、どのような人なのか、写真ではわりと痩せていてひ弱な哲学者のようにも見える、それにしてもなぜ有名な人でもなく宗教家でも哲学者でもなく、無名のスイスの片田舎に住む片腕の男に宇宙の彼方から彼らはやって来るのだろうか。しかし単なるコンタクトではなさそうだった。そして彼、ビリーマイヤーは今後何をしようとするのか。私にとって最大の関心事となっていたので、絶好の機会だった。是非とも会って真相を確かめたいと期待に胸躍らせ、早速友人にも声を掛け前もって彼女の家に泊めてもらって一緒に空港へ行く手はずとなった。初めて会ったいつもの声の主はスマートで目が細めで電話でのアキノ大統領のようなイメージとは違った。ご主人が事業をしていて彼女も自分なりの事業をしているという。私たちの嬉しそうな語らいに、その主人が「何かいいことがあるのですか?」と、私には寂しそうに聞いてきたように感じたので、何となく彼女と主人との価値観、つまり方向性が違うのかなと思った。ここには普段本を読んだ人たちがよく集まって話し合っているという。そして翌朝初めて満員電車に乗る羽目になった。ちょうど通勤時間に重なって旅行鞄を抱えていたので乗り込むのもようやくだったが話に聞いていた過酷さは尋常ではなかった。まったく身動きが取れず窓に押し付けられ、発車と停車の度に身体が前と後ろに揺れ動かされあちこちで悲鳴や口論が起きた。降り際に悪態をつく女性もいた。骨が折れるかと思った私はもう2度とご免だと思いながらも空港へ着く前に疲れてしまった。それでも彼女は慣れたものか荷持カートを元気に引きながらたくましいのだ。空港ロビーで通訳も含め15人が揃った。中には小樽からの女性もいた。スイスへの機内ではお互い見知らぬものどうしで自己紹介をしたり席を替わったりしながら到着までの時間をすごした。北半球を西へ向かってつまり太陽を追いかけて飛行機は飛ぶ。シベリアの氷に覆われた白い大地が見下ろせる。やがてスイス上空にさしかかると雲間に陸地がそれも草原と林と道路や家々が見える。ああ、この地に宇宙からUFOがやってきて何度もこの上空を舞いながらビリーのもとにやって来ていることを思い描きながら同じ空間を自分もいま共有しているのだと感じた。チューリヒ空港に着くとセンターからの迎えとしてビリーの奥さんであるカリオペが日本人通訳者と運転手とともに出迎えてくれた。ひとまず休憩してから出発となり飲み物を摂っている時にカリオペの態度が何となく面倒くさがっているように見えたが気のせいだろうか。そして一行は迎えのバスに乗り込んで宿泊先のホテルへと向かった。着いたときは夕方だったので食事を済ませると明日の訪問に期待しながら疲れた身体をベッドに横たえた。突如大きな鐘の音に飛び起きて何だ!何だと皆が起き出した。時計を見ると真夜中の12時だった。ガランガランとなり続ける異常な鐘に何事かと目が覚めた。なんと迷惑な鐘がしばらくしてやがて鳴り終わって寝不足のまんじりともしない夜が明けた。朝食に集まって初めてイースタ(キリストの復活を記念するキリスト教の祝日)であることがわかった。なんとホテルの隣と道路の迎えに2つの教会があったのだ。よりにもよって真実を求めてこの国にやってきた日にこんな洗礼に見舞われるとは。